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サッカーのゴールキ-パーを紹介するブログです
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1929年6月7日
メキシコ・メキシコシティ出身の元サッカー選手。
子供の頃にアントニオの省略である“La Tota”という愛称を付けられた。
1948年のロンドンオリンピックで活躍し、同年12月にメキシコ1部リーグのクラブ・エスパーニャでプロデビュー。2シーズンプレーした後、レオンに移籍している。
ワールドカップでは通算11試合に出場。勝利したのは1962年チリ大会のチェコスロバキア戦だけ。
ワールドカップ通算25失点は歴代最多記録。
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1949年9月18日
イングランド出身の元サッカー選手
1964年に地元のクラブであるレスター・シティとプロ契約を結び、キャリアをスタートさせる。翌年にはリーグデビューを果たし、その後レギュラーに定着。同チームに所属していたゴードン・バンクスを移籍に追いやる。その後1974年にストーク・シティに移籍している。
3シーズンを過ごした後、1977年に移籍したノッティンガム・フォレストでは1978年のリーグ優勝、1978・79年のリーグカップ連覇、1979・80年のUEFAチャンピオンズカップ連覇に貢献。個人としても1978年にPFA年間最優秀選手賞を受賞。1980年には第1回トヨタカップに出場を果たしている。1982年にノッティンガムを去った後もサウサンプトン、ダービー・カウンティで活躍。40歳を過ぎた後も現役に拘り、数々のチームを転々としていた。
1963年11月18日
デンマーク出身のサッカー選手。
リカルド・サモラ、レフ・ヤシン、ゼップ・マイヤー、ゴードン・バンクス、ディノ・ゾフらと共に20世紀最高のGKの1人。
愛称は白い巨人。190cmを越す巨漢で、足元でのプレーやゴールエリア外に飛び出すプレーはあまり得意ではないが、ゴールライン上での圧倒的な存在感を放ち、ハイボールや至近距離からのシュートに抜群の反応を発揮した。特に、相手ストライカーとの1対1の場面では類まれな勝負強さを発揮し、相手がシュートやフェイントをかけるまで両足をずっと地面につけたまま決して動こうとしない。これは先に動いた方が負けという信念を持っており、そして最後までボールの動きをじっくり見るためであった。また、リードしている試合以外のロスタイム時のセットプレイには果敢にも相手ゴールまで上がりゴールを狙うことが多くアストン・ヴィラ在籍時に1得点、代表でも1得点挙げている他、練習試合などでは見事なボレーシュートを決めていた。
1965年7月27日
パラグアイ出身の元同国代表サッカー選手
正確なポジショニング、優れた反射神経、判断力の良さ、積極的な飛び出しなど勇敢なプレーと卓越したリーダーシップでチームを統率するゴールキーパー。PKストッパーとしても名高いが、むしろPKやFKを決めるゴールキーパーとして有名。
サッカー以外では貧しい子供や体が不自由な子供たちに対する、募金活動などボランティアにも積極的に協力。1999年に母国パラグアイで開かれたコパ・アメリカ出場辞退の理由には「経済的に混迷するパラグアイでは国際大会よりも学校や病院が必要」という軍事政権に対する抗議である。また、グアラニー語の教員免許を所持。

1901年1月21日 - 1978年9月8日
スペイン・バルセロナ出身のサッカー選手。
レフ・ヤシンらと並び、サッカーの歴史上最高と言われるGKの一人で。愛称はエル・ディビーノ。スペインの年間最優秀ゴールキーパー賞は、彼の名前が冠せられ、サモラ賞と言われる。
地元のエスパニョールでプロデビューし、その後バルセロナやレアル・マドリードにも在籍。スペイン内戦の拡大によって、1937年からはフランスのクラブに移籍し、翌年引退。
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